俯瞰することに意義はない

俯瞰することに意義はない。 人口も多く情報も多く出回っているイサーンとラオの違いについてすら、ほとんどの日本人が正しい認識を持ち得ずに居る。 その日本人が他の地域に行って正しい認識を得ることが出来るのか大いに疑問だ。何故正しく認識できないのかを考える試みとして、何故日本人が民族研究に没頭しやすいのか考えてみる。 何故日本人は民族研究に魅力を感じているのだろうか。 その問いはすなわち、何故日本人以外の民族は民族研究に魅力を感じないのか、という問いに帰結する。 何故日本人以外は日本人ほど民族に知的好奇心を持たないのか。 それは、日本人に取っての謎は、日本人以外の民族に取っては謎でも何でもなくごく一般的な常識だからではないか。 他でもない日本人が一番の少数民族なのだ。 日本人は孤立しており、日本人だけが、他の民族が当たり前の様に知っている常識を知らない。そういう日本人は絶対に俯瞰してはいけない。俯瞰すると何一つ正しい認識に到達しない。 ひとつの物に対して徹底的に深く知る事が大切だ。 他は「推して図るべし」だ。(Mon, 11 Jul 2011 22:47:25 +0700)