質問:『神は自らを助くものを助く』が聖書に載ってないってホント?

とある酒飲みキリスト教信者の為に、一肌脱いで日本語訳してみた。

Question: "God helps those who help themselves - is it in the Bible?"
http://www.gotquestions.org/God-help-themselves.html

以下の文は上記の日本語訳だ。おかあつが自ら訳したものだ。細かいところは間違ってるし、超訳になっているかもしれないが、大筋の意味はわかるだろう。

質問:「神は自らを助くものを助く」が聖書に載ってないってホント?

回答:「神は自らを助くものを助く」は、聖書に載ってないフレーズでもっともよく引用される言葉ではないでしょうか。 この言葉はベンフランクリンを特徴づける名言と考えられて居ます。 ベンフランクリンの有名な著書「貧しいリチャードのアルマナック http://en.wikipedia.org/wiki/Poor_Richard%27s_Almanack 」の一節に出てきます。 実はその言葉は、1698年のアルジャーノンシドニーの著書「政治に関する台詞 http://www.google.com/search?q=Algernon+Sidney+Discourses+Concerning+Government 」に源を発します。 いずれにせよ、この「神は自らを助くものを助く」という言葉は、聖書の教えと反対の意味を教えています。神は助けない人を助ける! Isaiah 25:4 では「あなたは貧しい者のとりでとなり、乏しい者の悩みのときのとりでとなり、あらしをさける避け所となり、熱さをさける陰となられた。あらぶる者の及ぼす害は、石がきを打つあらしのごとく、5 かわいた地の熱さのようだからである。あなたは外国人の騒ぎをおさえ、雲が陰をもって熱をとどめるようにあらぶる者の歌をとどめられる。」 と述べられています。

参考: http://www.youversion.com/bible/ja1955/isa/25/4

救いの言葉に於いては、私たちは無力な存在です。 私たちは全て罪をもって生まれ(Romans 3:23) 罪の結果として祈る(Romans6:23) この状況に対して我々が出来ることはない(Isaiah64:6) 有難いことに、神はこの救い様のないこの状況を救ってくださる。 我々に罪があるからイエスは我々の為に死んだ。(Romans 5:8) イエスは我々が支払うことが出来ない代償を我々の代わりに支払ってくれたのです。(2 Corinthians 5:21) 神は、我々が自分を助くことが出来ないからこそ、私たちにとってかけがえのない「助け」を与えてくれる。

しかし、救いの言葉を離れて冷静に考えてみると、ひょっとしたら「神は自らを助くものを助く」というコンセプトが正しいとみることもできるかもしれません。 例えば、もしもあなたがそこにある家具を動かそうとするのに何もせず、家具を動かす私をじっと見ているだけだったら、私はもう二度とあなたを助けないでしょう。 多くのキリスト教信者は、この無気力のトラップにハマってしまいやすいものです。多くのキリスト教信者は神に助けを求めるだけで、望みを行動に移さず、神が全てを解決してくれると考えてしまいがちです。 彼らは、神が意志と機運を与えてくださるという事実を逃げ口上として指摘するだけで、実際に行動しません。 この言葉は無気力の言い訳では決してありません。この例と同様に、仕事が必要な時、主に仕事を見つけるように頼んだら、実際に仕事探しを行動に移すことです。 主の力による仕業だからこそ、神はきっとあなたの為に、雇用主をあなたへと導くでしょう!

どうだろうか。

というのも、僕は次の記事を見て、強い危機感を感じたからだ。

わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
http://homepage2.nifty.com/usagiclub/011106.htm

2001/11/06 天は自ら助くる者を助く?
http://homepage2.nifty.com/usagiclub/011106.htm

上記のエントリは、確かにキリスト教に書いてある事には忠実かもしれないが、キリスト教のコンセプトからは大きく外れた事を教えている様な気がしてならなかった。 読んで非常に強い危機感を感じた。僕は日本には住んでいない。 僕のまわりには色々な形でのキリスト教信者が多数居るが、上記のような「文字通り」に取ってその本意を失った硬直化した聖書の読み方をする様な人は居ない。

キリストの経典が聖書だからと言っても、ちゃんとこうやって行間を読んで何でもかんでも文字の額面どおりに受け取っている訳ではないのだ。

神を信じぬ、おかあつが偉そうに語ることではないが。