中国人の人間関係と日本人の人間関係の違い、という勘違いについて

日本語を勉強している中国人を見ていると、のべつまくなしに色々な日本人とやりとりしている人が多い。僕はそれを見て一定の違和感を持っている。その違和感の来る場所を考えてみると、それは僕の中国滞在中に見た一般的な中国人の人間関係に対する経験ではないかと思う。 中国人の一般的な人間関係とは、そんなに他人行儀で大多数と無差別に付き合うだろうか。確かに公共の場ではそうかもしれないが、普段は絶対に違う。中国人の人間関係は非常に濃く深い。では、日本語を勉強している中国人に対して僕が感じる違和感は一体なんなのだろう。 それは日本人に対する愛のなさではないか、と思う。

僕も他人の国に行って他人の言葉を学び他人の文化の裏側を覗き見てまわる様ないやらしい事ばかりしている。 こういう行為は基本的にその国の人にとって不愉快な行為だ。他人の国の文化を学ぶとき、この相手の不愉快さを理解する感受性がとても大切なのではないだろうか、と僕は思う。

その国の言葉やその国の文化を研究する事以上に、僕が重視している事がある。 それは、その国の文化に対する敬意と愛情だ。外国の文化を学ぶ学習者にとって、他人の国に対して客観的なのは当然だ。他人の国にいかに主観的になれるのかが、ひとつの挑戦であると僕は思う。いくら日本語が上手でも、日本人に対して客観的でクールな目を向け他人行儀で付き合っていたのでは、一人の日本人としてがっかりだと僕は思う。そういう思いを、僕が学んでいる文化圏の人に感じさせてはいけないと思う。その国の人が持っている辛さ悲しみを感じ取る心理的な理解力の方が、文法や単語などの論理的な理解力よりも僕ははるかに重要だと思う。

もっとも、僕が住んでいるタイには、そういう「心の理解力」のない日本人がたくさん住んでおり、タイの人に多大なる失礼やご迷惑をお掛けしている。 だから僕もこうして、文化に対する理解を欠き日本の人に迷惑をかけている中国人に対して文句を言う筋合いではないのである。

これはどこの国の人がどこの国へ行っても起こり得ることだ。